「好き」と「好きだった」の間に横たわるもの / 時間と精神
解散したバンド、メンバーや音楽性ががらっと変わっていかなくなったバンド
バンドの終わりや大きな変化を沢山見てきた方のバンギャルだと思う
見れなくなったバンドも行かなくなったバンドも、そのときに好きで聴いていた音楽は変わらずにずっと現在進行形で「好き」なのだと思い込んでいた
つい数日前まで
シャッフル再生していたときに流れてきた、もう見ることのないバンドの曲が流れてきたとき、ああ私はこのバンドを「好きだった」と初めて確信した
10代の頃、必死な思いで縋り付くように聴いていた音や歌は、もう過去のものになっていて、あのときの感覚を思い出すための記憶装置に過ぎなかった
勿論、音とか曲とか単体で見たらやっぱり世の中の音楽の中ではごくごくごく一部の好きな音楽には間違いないのだけれど
「好き」と「好きだった」の間に横たわるものはあまりにも大きくて、
ざっくり言ってしまえばそれは時間であり、当時の感覚であり、何より現在進行形で必要なものであるかないか、ということなのだと
ほんの少し前までは、過去聴いていた音楽はどれも私にとって必要なものだった
だから、何年経っても好きな音楽は好きで、それはずっと変わらないのだと思っていた
でもそれは大きな間違いで、人は歳を重ねたり環境が変わったりする度に、必要なものがころころ変わっていく
変わっていくし、大半の場合、それは思春期と比べたら段々減っていってしまう
社会から与えられた生活とか、自立して生きていけることとか、メンタルの安定によって
事実、メンヘラのパターンとして一番テンプレートな境界性人格障害の女の子たちは、20代から徐々に症状が落ち着きはじめ、20代半ばになれば激減するという
安定する、といったら聞こえはいいが、それは感性の欠如に等しいのではないか
生きている心地がしない、と最近よく思う
それは紛れもなく不自由なく安定した、誰からも縛られたり苦しめられたりすることのない生活を手に入れたからに違いない
よって、必要なものはどんどん減っていく
ずっと好きなもの、必要なものが、あの頃好きだったものに変わってしまった
だとしたら、幸せとは何だろう