「いちばん好きな映画は?」
「この作家なら何が好き?」
「わたしも、この曲好きだなあ」
友人、恋人、家族、知人、名状しがたい間柄
いったい今まで何度この手の会話をしただろう
人間を今ほど嫌いではなかった頃、たぶんわたしはこの問いの答えを完璧に理解することで、相手を理解できると勘違いしていた
当時はその自覚がなかったけれど、今思うとそうだ
だから、好きな人が好きなものには片っ端から手を出したし、同じものを好きな人のことはそれだけで信用してしまったし、好きな人と趣味が合わないときは深く傷ついた
わたしにとってこの世は昔から下らないもので、創作物とそれに対する感性だけが価値のすべてだった
同じものを近い感覚で好きな人とだけはわかりあえると夢を見ていた
わたしが人間を嫌いなのは、何をどうしてもわかりあえないからだということにも、今までわたしを悲しませた人たちがこの質問をクリアしていたことにも今更気付いた
質問をクリア、という日本語はおかしいのだけどわたしにはおかしくなくて、
この問いで同じものを好きだと判明するか、同じものが好きではなくても好きなものを好きな理由に少しでも共感できるかが、わたしにとってその相手とちゃんと人間として付き合うかどうかを決めるフィルターだった
烏滸がましいし、極稀に例外もあるけれど、本当にそうだった
まともに相手しない人間に何されようが気付かないんだから傷つくこともない
このフィルターが間違いだったとは思わない
ただ、このフィルターを通したところで他人とわかりあえることは一生ない
どんなに音楽の話をしても、文学の話をしても、映画の話をしても、他人とわかりあえることは死んでもない