2017/08/06
いつからか赤がずっと好きだった。
赤が似合う人が好きだった。
多分、私にとっては強さや意思の象徴の色なのだろう。
私にでもそれなりに似合うと気付いてからは、気合を入れたい日や大事な日には必ず赤いワンピースとかを着ていたし、エフェクターケースも赤。
初めてライブをやった1年3か月前からも、ライブをやるときはいつも爪を赤く塗っていた。
それに違和感を覚え始めたのはひと月前くらいからで、
今まで何を選ぶにもまず気にしていた赤色が、急に目に痛くなってきたのだ。
部屋で少しだけベースを弾くときすら、赤いエフェクターケースからチューナーを出すのが億劫になるくらいに。
今日はライブをした。
初めて赤以外の色に爪を塗ったら、それがとてもしっくりきて、
人ってこんな風にとても自然に変わってしまうのだなあと思う。
赤色にあんなに拘っていたのが嘘みたいだった。
そんな日に赤いくらげというバンドを見て、とても好ましく思ったのはまあ偶然とはいえ、ちょっと面白かったな。
言いたいことを叫んでるだけの、やりたいことをやってるだけの人は格好良い。
私も自分が言いたいことを言いたいな。
やりたくてやってきたこと、比較的向いていると思ってしてきたことだけど、
誰かの音楽を支えるためだけのベースを弾くのは、もう暫くいいや。
2017/08/04
日記代わりにブログをつけてみることにした。
小学生の低学年の頃、何度か家の鍵を忘れたことがあった。
そんなとき運悪く誰もいないと、私は玄関で宿題でもしながら待っていたのだけど、
外で一人で座って待っている私が誘拐でもされないかと心配して、
通りがかった近所の人が何度か家にあげてくれたものだった。
そのうちの一人に、おばさんがいた。
いつも優しい顔をしていたおばさんで、おばあさんの家にはおじさんがいて、
そのおじさんも優しい顔をしていて、趣味で灯篭(灯篭のような物?)をつくっていた。
趣味というか、あの出来は元職人とかだったのかもしれない。
あの、神社にあるごついやつじゃなくて、いろいろな形をした流し灯篭の方。
おばさんの家はそこまで広くはなかったはずだけど、
灯篭専用の部屋があって、そこに一度か二度だけ入れてもらったことがある。
真っ暗な洞窟みたいな部屋で、壁や床にいくつも飾られた灯篭だけが橙色に点っていた。
その光景はとても綺麗で、夢か何かのようだっただった。
綺麗な夢、というのは今だから言える感覚で、当時の私にはそれを綺麗だと認識する能力もなかった。ただ、形容できない恍惚だけを抱えてぼーっとしていたと思う。
灯篭は日々増え続けているという。
その部屋はおじさんがいるときにしか入れなかったので、タイミングが合わなかった私はそれっきり、その光景を見ることはなかった。
ただ息をしているというだけでいろいろなことが起こって、何年も日々過ごしていると、思い出す頻度も次第に薄れていく。
高校生だったある朝、おじさんが亡くなったという話を母親から聞いて、鮮やかな映像がぱっと浮かんだことすら不思議だったくらいだ。
それまですっかり奥の奥に押入れられていた記憶が引きずり出されても、
あのときおじさんが何を私に話していたか、おじさんの声がどんな風だったのかは、どうしても思い出せなかった。
ただ、あの部屋であれを見たことと、恍惚の感覚だけはすとんと胸に落ちてきて、母親の前では無関心さを装いながら、べそべそ失恋したみたいに泣きながら登校した。
日々追われる中で記憶の奥の方にやって、
たまに思い出しても、また見せてほしいと直接言いに行く勇気すらなく、
それなのにあの部屋に灯りが増えないことが、何故だかとても哀しかった。
その頃にはもう体調を崩し始めていたおばさんは(といってもはじめからおばあさんくらいの年齢なんだけど)、おじさんが亡くなってから遂に外に全く出てこなくなった。
毎日会って声をかけてくれていたのが嘘みたいで、人は簡単に自分の世界からいなくなってしまうのだなあ、と思った。
記憶が定かではないけど、あの夫婦には確か子供がいないと聞いた。
だとしたら、おばさんが亡くなったら、あのとき私が見た景色は二度と誰の目にも映らなくなるんだろう。
今日は何故だかわからないけれど、久方ぶりにあの部屋の光景を思い出した。
それで日記代わりにまたブログでもつけてみようかと思った。
エピソード記憶に関する記憶能力には自信があるから、それがなければ、そういうのもういらないかもなって最近思ってたんだけど。
私はきっといつかあの橙色の温かさを永遠に忘れてしまうし、だからこそ忘れたくないらしい。